北京オリンピックの競技紹介「フェンシング」
普段日本人にはそれほど馴染みのない競技の中から、「フェンシング」という競技について紹介します。
今回は、フェンシングについてその歴史などを紹介します。
フェンシングという競技は、その原形は中世の騎士による剣技にあるとされています。何となくロマンを感じますよね。
中世以降の火器の発達によって、剣技は、戦争における戦闘手段としてはかなり後退することになります。
しかし、剣技のその繊細なテクニックは多くの人々を魅了し、19世紀末にはヨーロッパ各地にて競技として盛んに行われるようになりました。
そして、1914年6月にパリで開かれたIOC総会において、フェンシングの「競技規則」が採用されることになります。
オリンピックで競われるフェンシングの全種目(フルーレ、エペ、サーブル)に適用するためのルール作りが行われ、討議と検討がされた末に満場一致で可決されました。
これらは、現在の国際フェンシング連盟(FIE)ルールの原典にもなっています。
また競技の判定は、当初は審判人による肉眼にて行われていましたが、1936年にまずエペ種目において電気審判器が導入されることになりました。
電気審判器の公正さが確認されて人々に周知されると、フェンシングの競技人口自体も急激に増えたとされています。
その後、残りの2種目についても同様に電気化がなされ、現在に至っているわけです。
日本のフェンシング競技における歴史としては、1952年ヘルシンキ大会、1956年メルボルン大会に視察員として参加しています。
1960年のローマ大会で初めて選手団を派遣をすると、1964年の東京大会では、ついに男子フルーレ団体で4位入賞という快挙を達成しました。
以降、オリンピックには毎回出場しているものの、残念なことにこの記録は未だに破られていません。
北京オリンピックのフェンシング競技では、日本勢の巻き返しに大いに期待したいですね。